戦前の日本映画は現在、そのほとんどが失われています。
このブログを書いている2021年にも特撮の神様・円谷英二が撮影した戦前の映画『かぐや姫』がイギリスから発見されて話題を呼びましたが、戦前の映画発見はそれほど珍しいことなのです。
『映画探偵: 失われた戦前日本映画を捜して』では、今は失われた戦前の映画を探す「探偵」たち取り上げています。
探偵たちの映画探索のほか、映画黎明期から戦前までの映画の歴史と、幻の映画を追い求める人々の姿を追ったドキュメンタリーです。
幻の戦前映画を探して
なぜ、戦前の映画が幻となってしまったのか。
それは戦争による消失だけではないそうです。そこには、燃えやすく劣化しやすいフィルムの性質や、ずさんな上映体制など、複合的な理由がありました。
現代では考えられない、戦前映画のトンデモな上映スタイル
- 上映後フィルムをその場で裁断、販売
- 同じ脚本で違うタイトルの映画が撮られることがあった
- 上映側が勝手に編集、名前を変えて上映(他のフィルムとつなぎ合わせたりは日常茶飯事)
- フィルムが燃えやすく劣化しやすいため保存が困難だった
…いやもう、現代では考えられないずさんさですね。こうしたことが、映画を探すことを困難にしているのだそうです。
同じ著者の『戦前日本SF映画創世記: ゴジラは何でできているか』によると、当時のB級特撮映画(ロボットと時代劇など)は、B級であるがゆえ、扱いがずさんで殆ど残っていなのだとか。
国内外で発見される日本映画
しかし、それでも少しずつですが、失われた映画が発見されていきます。名作『忠次旅日記』は広島から、『何が彼女をさうさせたか』は、なんとロシア(ソ連)で見つかりました。
忠次旅日記
『忠次旅日記』は、映画雑誌キネマ旬報の邦画ベストワンに選ばれたほどの名作でした。しかしそんな名作でさえ、長く行方不明になっていました。しかし1991年に偶然、広島の民家から発見されました。
とはいえ、当時の映画は上映側が勝手に他のフィルムをつなげてしまうので、なにが正しいのか判断が難しいのです。そこで、判断の一翼を担ったのがファンの集めた資料だったそうです。
いつの時代もオタクの情報収集力は侮れませんね…。
何が彼女をそうさせたか
このロシアでのフィルム買付は、ソ連崩壊直後だからできたドラマチックな話があります。
戦前の日本は満州を植民地化していました。そのため終戦後、大陸にあったフィルムは侵攻ロシア(ソ連)に押収されました。
長らく行方不明だった名作『何が彼女をそうさせたか』は当時、新興の映画会社だった帝国キネマの作品でした。(当時は数多くの中小映画会社が乱立していた)
帝キネ創業者を祖父に持つ 映画館経営者がなんとしても自館で祖父の制作映画を上映したいという執念から、瓦解したソ連の混乱に乗じて買い取ってきたのだそうです。
戦前の日本映画がよく発見されるのは、当時日本が植民地化していた台湾、満州、朝鮮などです。
ほかにも、移民の多いアメリカや、植民地へ侵攻してきたロシア(ソ連)などに接収された可能性があるからだとか。
海外で日本映画が上映された例として、アメリカ人男性と日系女性の恋を描いた映画「愛と哀しみの旅路 」があります。
この映画では、アメリカで日本映画が上映されるシーンがありました。
ちなみにその映画は「鴛鴦歌合戦」。片岡千恵蔵、ディック・ミネなどが出演した歌う時代劇(オペレッタ)です。
映画探偵たち
一口に幻の戦前映画を探す映画探偵といっても、さまざまなタイプがあります。
修復保存を行うフィルムセンターなど公的機関、民間団体、フィルムコレクターなど。
また、無声映画の解説をおこなっていた活動弁士たちもコレクターでした。これは、活動弁士が興行用のフィルムを自前で用意する必要のあったからです。
サイレント専門の映画会社、マツダ映画社活動弁士の松田春翠が設立したものです。
まとめ
『映画探偵』で興味深かったのが、収集欲が高じて狂気に走るコレクターたちです。
時には人を騙してフィルムを入手したり、貴重なフィルムを所持していると嘘をついたり。
こうしたコレクターの闇は、どのジャンルにも共通しているようですね。前に読んだ古書コレクターの小説『せどり男爵数奇譚』を思い出しました。
これからも戦前映画の発見は続いてゆくのでしょう。案外、身近な場所から貴重な日本映画が発見されるかもしれませんね。