ホーロー看板を通して、昭和の広告が見えてきます。『懐かしのホーロー看板―広告から見える明治・大正・昭和』では、ホーロー看板のなりたちと、そこに描かれた商品の歴史を紹介した本です。
昭和の広告とホーロー看板
ホーロー看板の全盛期である昭和30~40年代は、今のように短い期間で商品のモデルチェンジをしませんでした。いちど貼ったら長く使えるホーロー看板が宣伝として有効だったんですね。
昔の地方では情報が限られていました。テレビも雑誌も今ほど普及していないし、もちろんインターネットもなかった。だから、商店の壁に貼られたホーロー看板は、地域の人がもっとも目にする広告だったのでしょう。
オロナミンCの秘密
この本の作者・佐溝力さんは、オロナミンCの顔・大村崑さんにお会いして「オロナミンC看板の秘話」を教えてもらったそう。
- オロナミンCは、顔写真を載せた初めてのホーロー看板
- キャップのフタがない看板の方が古い
- 大塚製薬は、テレビ全盛の昭和40年代に、逆転の発想であえてホーロー看板を大量に作った
懐かしの専売制度
昔は「その店でしか買えない商品」がありました。お米はお米屋さんでしか買えなかったし、プラッシーはそのお米屋でしか買えなかったものです。
なかでも、専売制という販売方式で、認可を受けた店だけが扱えたのが「たばこ」と「塩」でした。
店先に「たばこ」「塩」のホーロー看板は取り扱いの証でした。下部分には便乗して「サンキストレモン」と「フコク生命」の文字が。
公共ホーロー看板・仁丹
昔は、いまほど町に地図や住所が表示されていないため、家をさがすのがたいへんだったそうです。
そこに目をつけた仁丹が、住所表記のホーロー看板を看板を設置。ちなみに仁丹のキャラクターは軍人ではなく「薬の外交官」なのだとか。
今でも古い町並みの残る京都や、下町風情の残る谷根千でみることができます。